2014年9月12日金曜日

[小説感想文:華胥の幽夢/著:小野 不由美]帰所。在るべき所に帰るという事。

さて華胥の幽夢です。


小説感想文として続けてきた十二国記ですが、今回で一旦十二国記は終了です。

この後の巻は持ってないんよ。全部ホワイトハート文庫のを持ってて、そこで出版された分がこれで全部なので。
新潮文庫の完全版で出てる丕緒の鳥と未収録の一編だね、残るわ。買うか借りるかして読むかは未定です。気分と縁次第だね。そしたらまた読み直しになるかと思います。


内容ですが短編集となっています。また夫々の話は外伝ですね。
今回も十二国らしさと話の流れになっています。


まずはらしさの一つ、風景(世界)の美しさ。
十二国記における描写って単純に綺麗な-だと煌びやかなーだのといった物ではないんだよね。そこがどういう場所で、何が存在しているのか、それを読んで「ああ、ここは美しいな」と感じれるんだよね。なのでこの世界自体を愛せるんよ。これは自身の身を作中に置けてとても良いよね。

次に優しさです。
なんだろうね、話の流れもそうなんだけど、夫々の人物が根にやさしさを持ってるんよ。これは川原泉に通じる優しさだと思うんだよね。なので辛い世界ではあるんだけど、ゆったりというのかなんとも良い気分で読み終えれるんだよね。個々の人物が経験して学び、自分の役割りや世界を理解する事を描かれているからかもしれん。だから謙虚で真面目というのかな「判っている」からこそ出来る優しさなんだと思う。

そして題名に書いた帰所です。これが十二国記の話の流れだと思うんよ。居場所探しといっても良いね。夫々の人物が様々な事情、状況を抱えてるわけですが、その中で経験し学び、自分がどうあるべきか、自分を取り巻く世界はどんななのかを知り、そして自分はどうすべきか、どこに行くべきか行動するわけです。これって結局は人生だよねぃ。ゆえに誰が読んでもきっと楽しめる。


…-っと十二国記のwiki見てて気が散ってしまったw

この後一冊あるわけだけど、確かに帰山でこのシリーズは終了したと思えるんだよね。帰山の話、久々に知人に会え、帰る場所(国)ある、それはどういう事なのか。これが全てだと思うんだわ。

時系列的に黄昏の岸 曉の天と魔性の子の高里の話までを一通りやったわけだしね。この後の話はもう神に挑戦し蓬莱のような近代化をしていくしかなく、それは十二国ではなくなっちゃう気がするんだよね。


つーわけでたしかにまだ々読みたい十二国ですが、これでちゃんと終わりでもあるなとも思うのでここまで。

んー、次は小野 不由美作品の別のシリーズとかかね? 読書気分になったらと言う事で。でわでわ。

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